オルガスムについて




 
 オルガスム(オーガズム orgasm)とは、性的興奮と快感の絶頂をさす語である。
 男性の場合は一般に射精を伴うことが多いが、オルガスムにおいては射精は過程ないし付随して起こる現象の一つであり、必要条件ではない。つまりオルガスムに至らない射精もある。
 概して、オルガスムは自己の肉体から何かが抜け出るという解放感あるいは喪失感に基づくようである。
 エクスタシーも絶頂状態を指す語であるが、恍惚・法悦・忘我状態と言う訳語からも、性的な意味での絶頂状態とは限らない。
 エクスタシーは、自己自身の肉体から精神が抜け出る、つまり上昇感覚に基づいていると言える。オルガスムの場合は、自己の精神はあくまで自己の肉体に逗まっているという点で異なる。
 つまり、オルガスムとは自己の昂揚したエネルギーを排出することによる解放。エクスタシーとは自己の昂揚したエネルギーによって、自己自身から抜け出ることによる解放と言えるであろう。

 排出にせよ脱出にせよ、上昇にせよ下降にせよ、その中心となるのは一つの穴である。ミルチャ・エリアーデの言うように、魂が天上界や地下界への旅において上昇し下降するのは、宇宙の中心軸を形成する「穴」を通して行われるのだ。
 人間の肉体を貫いている穴とは、口から肛門と通じる長い洞窟以外には存在しない。

 
 
 ウイルヘルム・ライヒは、鬱積した性的興奮を頂点にまで高め、完全に放出し得る能力を「オルガスム能力」と定義した。
 オルガスム能力によって、緊張を全的に放出することによってはじめて、性器的接触による末梢的な快感がその方向を変え、自己の全的な満足に至るのである。
 ライヒによればそれは次のように説明される。

頂点は、興奮がその向きを変える点である。頂点までは、方向は性器に向いていたが、頂点で、それは反対方向、つまり全身に向かう。興奮が全身に完全に逆流すると、満足感が起こる。満足は二つのことを意味する。すなわち興奮の流れが体のほうに向き、性器への負荷がなくなったことである。(1)

 つまり、単なる勃起能力・射精能力はオルガスムとは無縁である。その能力に固執している状態こそがオルガスム能力の欠如状態である。オルガスム能力が欠如すると、肉体には常に性エネルギーが鬱積しする。つまり、性器への負荷が常に存在する状態となり、心的障害の原因となる、とライヒはいう。

 オルガスム能力を完全に発揮完成させた様は、アンドレ・ピエール・ド・マンディアルグの次のような文章が美しい。
 終(つい)に、時刻がやって来た。腕時計を見る必要はなかった、というのは「憩潮」の瞬間に、いわば心の中で私は頂点を認識したからだ。そこで私はジュリーの口の中に私の至福をぶちまけた。
 ・・・(中略)・・・
 黙って、寄りそったまま、まるで石にでも化したように、私たちはいつまでも動かなかった。(2)


 
 性的行為を儀式と考えるならば、オルガスムとは、その儀式の完結であるともいえよう。 
 ミシェル・レリスはエロティシズムの観点から闘牛という儀式について語っている。闘牛の構造は、対立・葛藤・死という三つのドラマに分かれていて、性的行為と同様に、接触と乖離を繰り返し、興奮を極限にまで高める儀式であるという。そして儀式としての闘牛の完結とは、頂点と同時に始まる最後の死のドラマである。

 「コリーダ全体は、供儀と同じように、昂揚の極へと向かう。すなわち、牛が殺戮されるのだが、その後でやっと弛緩が生じてくる」(3)

 この弛緩こそが、供儀の真髄であろう。一般に、供儀が生み出そうとしているものとは聖なるものに他ならない。聖なるものとは、対立の葛藤から純化され、結晶化した崇高な美そのもの、「死の瞬間にのみ現出する、まったき啓示−世界とわれわれ自身の完全な接触、われわれの全存在とあらゆるものとの合体」(4)なのである。
 しかしながら、性的行為においては死はめったに訪れない。供儀としての性的行為が終わったとあとも、私たちは生の空間に残らざるを得ないのである。
 性的行為の終わった直後に感じられる、相手に対する不快感や嫌悪感・憎悪や無関心は、死に達しなかった供儀、聖なるものの顕現のなかった儀式への屈辱感でもあるだろう。

充足してもなおわれわれは生きており、しかも、めくるめくような合体が終わったいまとなってはもはや、愛した人間を一つの物体と考えざるを得ないからなのである。(5)

 一見、この認識は正鵠を射ているようでもあるが正しくはない。供儀において死に達するのは生贄のみであり、人間は生き残るのである。人間が生き、活性化しエネルギーを増加し、より高みへと昇るための供儀であり、儀式なのである。
 つまりそう云った感覚は、エネルギーの逆流を完全に終了しないうちに儀式に見切りを付けてしまった故の誤ったものであろう。最後に逆転劇のある映画のエンドロールを観ずに、映画館を立ち去ってしまっておいて、つまらない映画だったと言っている状態である。
 弛緩の時間による、死から生への復帰を十全に行わないことがライヒのいう、オルガスム能力の欠如に他ならない。

 オルガスムとは、知覚の扉を清め、認識の未来を開いて、意識の辺境に踏み込むものである。


  
 
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−註−
  1. 『えろちか』 6号 昭和44年 pp.124 ウィルヘルム・ライヒ 『オーガズムの機能』 安田一郎訳
  2. 『満潮』 生田耕作訳 1988 サバト館 pp.42
  3. 『闘牛鑑』 pp.75 1971年 現代思潮社 須藤哲生訳
  4. 『闘牛鑑』 pp.51 1971年 現代思潮社 須藤哲生訳
  5. 『闘牛鑑』 pp.63 1971年 現代思潮社 須藤哲生訳