通常の男性の女性に対する愛欲は、対象に娼婦性を感じるか処女性を感じるかという点から始まる。そしてその意味するものは、
  娼婦:すべてに対して開かれたもの。 
  処女:すべてに対して閉ざされたもの。

である。
 その第一段階の次には、自らの精神に取り込むために、その対象の解体が始まる。
  崇拝物:開かれているものの解体、断片化。
  少女:閉ざされたものの固定化。つまり処女性の原点に至る過程。
 どちらにしてもそのままの方向性で進んで行くと、
  人形:最終的な解体の完了と完全なる所有。
へと至る。 しかし所有の不可能性、つまり愛の不可能性が奇蹟を起こすと、
  聖母:最終的な自己放棄。

へと至る場合もある。