UFO現象であるとか心霊現象であるとかの区分が明確には出来ないが、通常起こりうる現象とは考えられないものは、一般に奇現象と呼ばれる。英語では anomaly だが、同時にフォーティアン現象 Fortean Phenomena とも呼ばれている。これは、この分野の研究の始祖である、チャールズ・フォート (Charles Fort) の名に因んだ呼称である。日本ではまだ知名度も低く、その著作もあまり紹介されていない人物ではあるが、超常現象についての最も重要な研究と問題提起を行った人物として特筆すべき存在である。
 

 チャールズ・フォートは、1874年にニューヨークのオランダ移民の裕福な家庭に生まれた。父親は、すぐに手をあげる暴力的な性格の人物で、この父親への憎しみからフォートは権威や権力に対する反抗心を養ったようである。18歳になると彼は家を出て、世界各地をヒッチハイクで旅行する。

 その後祖父の家でコックをしていた女性と結婚し、ニューヨークに住む。生活は困窮を極めたが、フォートは自分の研究を進めて1897年の23歳の時までには、二万五千件に及ぶ正統科学に関するノートを作成する。しかし、自分の求めているものではないとして焼き捨てて、今度は過去の新聞や雑

誌の中から、火星の生物に関するもの(X)と、南極の邪悪な文明に関するもの(Y)の二つに絞って研究を続ける。生活の方は相変わらず貧乏であったが、フォートが42歳の時に叔父の遺産が入ったため、毎日の生活費を稼ぎ出すという悩みからは解放される。
  
 彼は自分の研究を出版しようと奔走したが、XやYの話しに興味を持つものは誰も居なかった。失望した彼は、またも自分の原稿を焼き捨て、自分の集めたデータから過去の様々な不思議な現象を集め、『呪われたものの書』(The book of the Damned) の執筆を始める。

 初めてこの原稿が認められ1919年に出版されるが、世間の評価は完全なる無視であった。それは彼の叙述のスタイルのせいでもあった。あまりにも断片的な事実を並べ立て、皮肉や感情的批判が混じり合ったもので、意味を理解するには余りにも韜晦に満ちていたからである。
 彼のいう「呪われたもの」とは、正統科学の権威が認めないもの、つまり正統とされる科学の見解に合わないデータ、説明不能なものとして見捨てられるすべてのものを指している。それらのものを、正統科学の認める「祝福されたもの」と対等の立場に引き上げ提示するという行為は、科学に対する敵対行為とみなされた。

 その後彼は四万件に及ぶデータをまたしても焼き捨てて、妻と共にロンドンに渡った。大英博物館にこもり、膨大な量の古文書の研究に取り組む。1929年にニューヨークに戻ると、『見よ!』(Lo!) を出版する。さらに死の年までに『新しき大地』(New Lands)、『野生の叡智』(Wild Talent)を完成させる。彼の著した四著作は、現在では奇現象研究の基本図書である。だが結局彼は、1932年に死亡するまでは社会的にはほとんど無名のままであった。
 
 フォートの思想の核となる概念は、テレポーテーション (teleportation) である。彼が造り出したこの用語は、瞬間移動や遠隔移動などと訳される現象のことで、人間やものが非常に短時間のうちに物理的に不可能な距離の移動を行うことをいう。空から魚や蛙、あるいは石ころなどが降って来る。UFOや幽霊が出現する。こういった超常現象は、別の次元世界からのテレポーテーションの結果生じているのではないかというのが彼の説である。

 彼によれば、テレポーテーションを生起する力は、原初の宇宙の基本的な力であったともいう。宇宙を構成する物質は、テレポーテーションの力によってそれぞれの場所に移動し、次第に定着した結果現在の状態になったのである。各事物の位置関係が固定化され安定した結果、テレポーテーションの力は弱まった。しかしそれでも、時たま無秩序な力を発揮するため、奇現象が生じるというのである。