「オカルト」と云う語はこの世の非科学的なもの全てを象徴するという意味で便利な語である。UFO現象も心霊現象も超心理学現象も全部含めて否定するには、「そんなものはオカルト信仰だ」で済んでしまう。狭義の科学ドグマに浸っているUFO現象研究家などの中でも、自分に信じられない仮説や事実が出現すると、「そこまでいったらオカルトだ」と否定する。

 つまり「オカルト」とは、一般の人間の常識では理解する事も信じる事も出来ない概念の全ての集合体として使用されている。実際、神秘学、魔術、オカルティズムと云った用語は、まるで同じものを指しているかのように曖昧とした使われ方がされている上に、取り上げられる事象は大抵が妖術・魔女術のような末端の技術的なものである。

 ではオカルトと呼ばれるものの、根本概念である隠秘学 (Occultisum) とは一体どのようなものであるのだろうか。ここではその名称の意味するものに付いて考察してみたいと思う。

 一般に通用している定義としてはやはり辞書に載っているものであろうが、例えば、広辞苑に於いては次のように説明されている。

 
通常の経験や科学では認められない「隠れた力」の存在を信じ、それを研究すること。占星術・練金術・神智学・心霊術などをいう。(広辞苑 第三版 昭和五八年 岩波書店 p.313)
 

 一般的に、この学に付いては「隠された力」という事と、関連する学問を並べ立てる事でしか定義はされていないようである。同様ではあるが昭和九年に刊行された「大辭典」ではもっと詳しく述べられている。

 
 秘密教・秘儀・密儀・秘密主義・秘学・神秘学等と評される。ラテン語の occulius (隠れたる・秘密のという意)から来た語。隠れたるもの即ち普通の経験をもって知り得ざる自然界乃至人間精神上の秘密現象を研究する学説・方法及び儀式をいう。著しく神秘的で、心霊論と密接な関連を有し、中世の錬金術・星占術、現代の心霊研究の如きはこれである。未開人の実生活に於いてはこの秘儀が極めて重要な役割をつとめている。(覆刻大辭典上巻 平凡社 p.678)
 
 実際、隠秘学とは、その字句通りにいうならば、隠された学問の謂いでしかない。しかしながら、オカルティズムの真の意味とは、その指し示す具体的な学問の領域ではなく、探求しようとする態度そのものではないだろうか。つまり隠秘学とは純然たる哲学的態度のことである。それが最もこの学の本質を付いているであろう。しかしそれだけでは余りにも漠然としたものとなってしまう。

 そこで、隠秘学という名称を意志的に用いるときには、そこにある前提が必要となる筈である。それはつまり、エリファス・レヴィの次の様な章句が象徴している。

 
 「言葉」に支配される知性の領域では、かかれたものは何一つ失われないことは確かである。人間が理解しなくなったものは彼らにとって、少なくとも言としてもはや存在しなくなるだけのことである。それはその時謎と神秘の領域に戻るのだ。("Dogme et Rituel de la Haute Magie", Editions Bussiere, 1982)
 
 このような謂いがなされたとき初めて、正体不明の隠され続けていた学が隠秘学という名の元に、初めて明確に統合されたのである。それは書かれた言葉、エクリチュールに拠る伝達と云う点に於いて。
 つまり隠秘学とは、宇宙のあらゆる現象を決して不可知の領域に追いやろうとはしない態度のことである。それは一切のものの真の名前を見つけ出すことである。名前を見つけ出すということは、すなわち「存在]そのものの意味を見つけ出すことである。